GS掲示板 日本海軍大艦巨砲主義尊重ているたら航空母艦多

GS掲示板 日本海軍大艦巨砲主義尊重ているたら航空母艦多

GS掲示板 日本海軍大艦巨砲主義尊重ているたら航空母艦多。装甲空母は元を辿れば昭和10年頃に図上演習で敵機動部隊と海戦をした場合共倒れになる算段が高いとされたため中継空母として提案されたのが最初で、中継空母は現実的でないとされましたが「中継空母を主目的とせず」とした上で装甲空母の研究は続けられ、計画は縮小されたものの大鳳となります信濃はミッドウェー海戦後の増勢計画として工事が中止されていた一一〇号艦の空母化がされますが艦政本部が戦前提案された中継空母、航空本部が通常の空母としての艤装を提案したため、軍令部が折衷案として装甲化しつつ艦載機数は確保することになりました大鳳の搭載機の常用57機+補助7機は翔鶴型の比べれば常用72+補助9機に比べれば2割減とされていますが別の資料では飛行甲板の広さから露天繋止機を含めて大鳳が72機、翔鶴型が80機のため実質は1割減に抑えられていました信濃も日本海軍では最大の飛行甲板を持っているため露天繋止機を含めれば多くの艦載機を搭載できたと考えられます海軍は昭和8年の段階で多くの搭載機を積むために格納庫の二段化を方針として以降の空母は商船改造空母と戦力化が急がれた伊吹と信濃以外はそれに沿った形で建造され、その後もロンドン軍縮条約での制限から赤城?加賀で格納庫の追加増設が実施され、蒼龍以上の大きさの空母では露天繋止が研究されましたこれ以外にも様々な方法が研究されましたがそもそも日本海軍の空母は密閉式の格納庫で飛行甲板も船体の形に沿うように小さく設計されているので搭載機、発艦機数では米空母に比べ不利になっています日本の空母がこのような設計になったのは開放式の場合、荒天になりやすい日本海ではシャッターが破壊されて格納庫内の艦載機が損害を受ける可能性が高く、飛行甲板は第四艦隊事件で鳳翔が船体から張り出した部分を波に叩かれて破損したためでしたこの2つの懸念は戦争末期の米海軍が遭遇したハルゼー台風で現実の物となりましたまた、日本海軍は戦前に双発機を搭載できる大型空母の草案がありましたが、ミッドウェー海戦後の損害の補填に翔鶴型のような大型空母ではなく中型空母の雲龍型が選ばれたのは建造期間が短いのと翔鶴型が建造可能な工廠?造船所が4ヶ所に対して雲龍型は重巡洋艦程度が作れる造船所8ヶ所での建造が可能で建造数が増えるだけでなく他の艦艇の建造?改装?修理への影響が少ないためでしたさらに航空本部も戦訓から敵機からの攻撃により攻撃隊を発艦させるのは1回、状況が有利でも2回が限度で反復攻撃は難しいとしていて、ミッドウェー海戦後の急速建造空母には大型空母ではなく雲龍型と同規模の簡易中型空母を多数装備して発艦機数を増やして戦力化する案を出していて、搭載機数よりも同時発艦数を重視していたことがわかります空母の搭載機は状況によって変わります。日米の空母艦載機数の違い
大鳳飛行甲板の装甲化で エセックスの半分程度なって、格納庫どちら1段 ミッドウェイ信濃 共装甲化飛行甲板、搭載機数3倍近く差

日本海軍大艦巨砲主義尊重ているたら、航空母艦多くの飛行機積むか 戦力て重要だ思うの、戦力縮小て防御重視たの 故なのでょうか

大鳳:計画 52+1機 基準排水量 29,300t 飛行甲板装甲 75+20mm
信濃:推定 48+5機 基準排水量 62,000t 飛行甲板装甲 75+20mm

エセックス:計画 100機 基準排水量 27,100t 飛行甲板装甲 0mm
ミッドウェイ:計画 136機 基準排水量 45,000t 飛行甲板装甲 89mm海の支配者は飛行機か。衝撃は世界を巡り。極東の海軍中佐のもとへも届いたのでした。現在。日本
では「第次世界大戦前までは『大艦巨砲主義』が世界的な主流であり。タラント
やパールハーバー。マレースラント」が沈没した年前から存在していた
プランであろうことは。「戦艦対飛行機問題」の記述からも明らかです。世界
のビッグ。戦艦「長門」の一部始終 旧海軍の象徴がビキニ環礁に沈むまで; 海底
に眠る米空母「ホーネット」の太平洋戦争 世論を変えた「ドーリットル

大艦巨砲主義”のまぼろしdragoner。「大艦巨砲主義」は日本海軍の運用思想とされ。大戦の敗因と戦後言われてき
ました。その節目とあってか。いくつかのメディアで大和を題材にした記事を
見かけましたが。その一つにこんなのが主力とする大艦巨砲主義を空母機動
部隊を中心とする航空主兵思想が真珠湾攻撃。マレー沖海戦で打ち破ったが。
初戦ために大きな戦艦に巨砲を積むという思想ですが。現在でも時代遅れの
考えを批判する際に使われています。次々”航空化”させられた日本の戦艦米にもあった大艦巨砲主義。その後日本海軍が正規空母隻を結集した空母機動部隊によってアメリカ海軍
太平洋艦隊母港であるハワイの真珠湾を攻撃。日米が参戦します。このハワイ
真珠湾攻撃とこのすぐ後に起こるマレー沖海戦において航空機の有用性が証明
されたの

戦艦大和の海上特攻。当時歳の渡嘉敷島の体験。「村長が『生きていても。みんなウランダー外国
人に目を抜かれたり。鼻をもぎ取られ沖縄住民も日本軍将兵も。日本軍に
捕虜となった敵兵の処遇を知っていたから,米軍の捕虜となったら同様に残虐に
扱日本でいう大艦巨砲主義は,年の英海軍ドレッドノート級弩級戦艦
建造以降に有力となった艦隊砲撃決戦思想で連合艦隊至上主義の影響で。駆逐
艦は,空母機動部隊?戦艦部隊の護衛に充当されていまい,海上護衛部隊は。
専門的大艦。日本軍機動部隊は?空母4隻?戦艦2隻?一方アメリカ軍は?空母3隻?戦艦は0.
さらに日本軍は?機動部隊の後方に?大和以下の質量ともに?圧倒的優勢な戦力を要
していた。 月日思想を変えるということは。単にの構成を変えるだけで
なく。大艦巨砲主義に立って築かれてきた組織を変えるとことになるわけ
ですから。そこで大型の軍艦に大型の砲をより多く搭載しようという考え方が
大艦巨砲主義であり。世紀末から世紀前半まで主要海軍国で支持されていた
。 第一次大戦

戦後70年「帝国海軍の大艦巨砲主義」に反論。日露戦争の時代には主力艦である「三笠」も。呉で砲身の取り換えなど修理し
ていた。それからもう一つ。世の中には「日本海軍はいつまでも大和などの
大艦巨砲主義に頼り航空戦に対応できなかった」という歴史家がいるが。それは
違う。ほぼ。主力空母4隻が沈んだものだから。一等巡洋艦以上はすべて
航空母艦に改造。旧式の戦艦は山口県岩国市沖の柱島水域でとどめた。GS掲示板。つまり1950年にはまだ多くの戦艦が残っていたが50年代にバタバタと淘汰
され1960年を迎えられたのは米仏でも巡洋艦。駆逐艦が結構。竣工した
のに戦艦。空母が全部。未完成となったのでソ連海軍は随分。バランスを欠いた
編成しかし米軍爆撃機の重防御に手を焼いた日本陸軍がマウザー砲やホ5など
20mm機銃に強化していった事を考えると私としては人命尊重主義の米国が
とりうる手段は全空母の搭載機を戦闘機とし対地支援の主軸を戦艦の艦砲射撃と
する

大艦巨砲主義。た日があった 元ドライバーのグロージャン「に不足しているのは
インディカーの予測不可能性」日本ののレベルは低い」←違うぞwww
こち亀なんで飛行機って墜落しそうになったらパラシュート開くように
しないの?第十九話。真珠湾では。空母から発進した約機の艦載機が米太平洋艦隊の大半を葬り。
マレー沖では。海軍基地航空隊の攻撃機が英東洋艦隊の新鋭艦「プリンス?オブ
?ウェールズ」「レパルス」を撃沈した。航行中の戦艦を航空機だけで撃沈した
世界

装甲空母は元を辿れば昭和10年頃に図上演習で敵機動部隊と海戦をした場合共倒れになる算段が高いとされたため中継空母として提案されたのが最初で、中継空母は現実的でないとされましたが「中継空母を主目的とせず」とした上で装甲空母の研究は続けられ、計画は縮小されたものの大鳳となります信濃はミッドウェー海戦後の増勢計画として工事が中止されていた一一〇号艦の空母化がされますが艦政本部が戦前提案された中継空母、航空本部が通常の空母としての艤装を提案したため、軍令部が折衷案として装甲化しつつ艦載機数は確保することになりました大鳳の搭載機の常用57機+補助7機は翔鶴型の比べれば常用72+補助9機に比べれば2割減とされていますが別の資料では飛行甲板の広さから露天繋止機を含めて大鳳が72機、翔鶴型が80機のため実質は1割減に抑えられていました信濃も日本海軍では最大の飛行甲板を持っているため露天繋止機を含めれば多くの艦載機を搭載できたと考えられます海軍は昭和8年の段階で多くの搭載機を積むために格納庫の二段化を方針として以降の空母は商船改造空母と戦力化が急がれた伊吹と信濃以外はそれに沿った形で建造され、その後もロンドン軍縮条約での制限から赤城?加賀で格納庫の追加増設が実施され、蒼龍以上の大きさの空母では露天繋止が研究されましたこれ以外にも様々な方法が研究されましたがそもそも日本海軍の空母は密閉式の格納庫で飛行甲板も船体の形に沿うように小さく設計されているので搭載機、発艦機数では米空母に比べ不利になっています日本の空母がこのような設計になったのは開放式の場合、荒天になりやすい日本海ではシャッターが破壊されて格納庫内の艦載機が損害を受ける可能性が高く、飛行甲板は第四艦隊事件で鳳翔が船体から張り出した部分を波に叩かれて破損したためでしたこの2つの懸念は戦争末期の米海軍が遭遇したハルゼー台風で現実の物となりましたまた、日本海軍は戦前に双発機を搭載できる大型空母の草案がありましたが、ミッドウェー海戦後の損害の補填に翔鶴型のような大型空母ではなく中型空母の雲龍型が選ばれたのは建造期間が短いのと翔鶴型が建造可能な工廠?造船所が4ヶ所に対して雲龍型は重巡洋艦程度が作れる造船所8ヶ所での建造が可能で建造数が増えるだけでなく他の艦艇の建造?改装?修理への影響が少ないためでしたさらに航空本部も戦訓から敵機からの攻撃により攻撃隊を発艦させるのは1回、状況が有利でも2回が限度で反復攻撃は難しいとしていて、ミッドウェー海戦後の急速建造空母には大型空母ではなく雲龍型と同規模の簡易中型空母を多数装備して発艦機数を増やして戦力化する案を出していて、搭載機数よりも同時発艦数を重視していたことがわかります空母の搭載機は状況によって変わります。決して固定的な物ではありません。下記の例で見ると、赤城/翔鶴/大鳳の常用機は同じ扱いで同等の打撃力を持てます。大鳳の運用能力は補用機で劣るだけの設定で考えられている。装甲空母は実用面で有利なのは確かなので、大鳳を建造した意図は妥当なものです。質問者氏は何か勘違いをしているのではありませんか。昭和17年4月 近き将来の新機種母艦搭載の機数 加賀;零戦184/流星455/合計72露天繋止8を含む赤城;零戦182/流星364/合計60露天繋止9を含む翔鶴;零戦180/流星363/合計57露天繋止7を含む大鳳;零戦180/流星360/合計54露天繋止8を含む蒼龍;零戦123/流星276/合計48露天繋止6を含む隼鷹;零戦123/流星271/合計43露天繋止6を含む※カッコ内は補用機昭和19年10月16日 空母及搭載艦関係報告資料信濃;烈風241/流星171/彩雲7/合計50雲龍;烈風180/流星243/彩雲3/合計45※カッコ内は補用機信濃は格納庫1層の簡易的な改装ながら、大和級の広い甲板のお陰でそれなりに搭載能力を持てる想定でした。この信濃の想定だと戦闘機と偵察機を重視で劣勢の戦局を反映したものかと。主翼を根元から折りたたんで、天井から鎖で釣るしておける米軍機と、軽量化と強度を両立させるために翼を大きくたためない日本機とでは根本的に搭載数に差が出て当たり前。根本的な理由は発動機の出力差からくる機体重量制限によるアメリカは艦隊ごと接近してガチの殴り合いになれば最終的に物量で押し切れる。日本の建造能力はアメリカの5~10分の一、空母の損失による打撃は米軍と比較にならない航空機や艦砲のアウトレンジ作戦てのはこの物量消耗戦をいかに回避するかという発想から生まれている信濃は船体を流用しただけで、ほかに活用方法がなかったからにすぎない。翔鶴はエセックス級に近い発想の構造だし、大鳳は米軍もミッドウェイ級で飛行甲板の装甲化を実現した真面目に考えた結果だよ。そもそも航空作戦自体が、がっぷり4つに組んでの殴り合いによる損耗を回避して飛び道具による一撃必殺の戦術を重視したからこそ採用されているアメリカと同じコンセプトで航空機や空母を作れば、アメリカの9割の性能の機体と艦艇がアメリカの8割の数だけ乗せられるが、消耗戦になり補充速度は数倍劣る負け戦になるだけ日本の海軍は大型艦艇ではバランスを重視した艦艇を作る傾向があります。小型の艦艇では無理な重武装に走りましたが、大型艦艇では別です。日本の戦艦部隊はユトランド沖海戦の戦訓から走攻守のバランスをとる傾向が顕著で、イギリス流の巡洋戦艦の走攻重視で守を無視の艦艇が役に立たないと認識をしています。だから、金剛級などでも30ノットに高速化すると同時に甲板装甲は150mmクラスにして巨大なバルジで水線下の防御も図る。長門も火薬庫を200mmクラスの重装甲に改装して、大和に至っては極め付きの重装甲です。海軍は大型の主力艦には走攻守のバランスを求めていました。そうなると、日本の空母は心許ないものになります。爆弾一発で飛行機の運用能力を失う空母は、ユトランド沖海戦のイギリス巡洋戦艦と同じ運命を辿るのかもしれない。そんな時に問題が起きます。イラストリアス起工;1937年4月基準排水量;23,000t搭載機;33機~翔鶴起工;1937年12月基準排水量;25,675t搭載機;常用72機日本が飛龍の拡大型で翔鶴を計画していたら、イギリスはあっさりと搭載機を削って防御力を重視してきた。大型空母なのに龍驤並みの搭載機、しかし、空母の弱点である飛行甲板をしっかり防御した。翔鶴は飛龍に比べて攻撃力は増したものの、防御力では大差ない。一発の爆弾で命取りになりかねない。攻撃力が高くて、高速だったイギリスの巡洋戦艦部隊はユトランド沖で簡単に沈んだ。その戦訓を理解している日本の海軍幹部ならやはり空母にも防御が欲しいと思うでしょう。大鳳起工;1941年7月基準排水量;29,300t搭載機;常用52機ただし、戦時には別途露天繋止を予定翔鶴レベルの空母に装甲を張る、それが大鳳のコンセプトでしょう。トップヘビーになるから上部構造物をコンパクトにしないといけない、格納庫のスペースにもシワ寄せが来て搭載機は減る。それでも、翔鶴級並みの飛行甲板のサイスがあるから露天繋止である程度の搭載機は補える。飛龍や翔鶴とは比べ物にならない防御力を持って、機動力なら翔鶴同等、攻撃力でも翔鶴並み。空母の攻撃力とは必ずしも搭載機数に依存しません。問題なのは同時に発艦できる艦載機の数なのです。合成風力を確保しつつ、飛行甲板上にどれだけの艦載機を同時に並べることができるか?問題はソコにあります。速度と飛行甲板の長さこそ空母の攻撃力を規定します。翔鶴;速度33ノット/飛行甲板;242.2m×29.0m大鳳;速度34ノット/飛行甲板;257.5m×30.0m空母は一度に全部の艦載機を発艦などできません、第一次攻撃隊出撃という時に攻撃隊を甲板に並べて発艦させる能力は翔鶴と大鳳では実質上の差などないのです。重量級の彗星、天山、流星などの新型機を発艦させるには飛行甲板が長いに越したことは無い。飛龍/雲龍では難しい新型機の発艦を大鳳なら余裕で行える能力があります。大鳳は翔鶴級と同等の発艦能力があって、蒼龍、飛龍、雲龍などでは難しい新型機の運用が可能。それでいて従来の日本空母には無い飛行甲板の装甲を持てる。当時の海軍の幹部であるなら、大鳳を良い空母だという認識を持つはずです。信濃は例外です。ミッドウエイの大敗戦で空母不足に陥って、使えそうな艦艇を大慌てで空母改装する。爆弾一発で大破する様な空母は流石にマズイと反省せざるを得ない状況です、そうなると加賀や赤城の様な空母に改装することはやれない。それに、主戦力を失ってすぐにでも代替戦力が欲しい。時間と資材を節約して、それでいて最低限の実用性を持たせたい。おさまる所、簡素な格納施設と頑丈な装甲甲板を持つように改造するくらいしかやれない。時間と資材をケチった妥協案としてのお手軽改装案です。コンセプトをキッチリ練った空母という訳にはいきません。まず装甲空母自体は日米英どこも作っていたので、「日本はなぜ?」と問われるようなことでは無いです。イギリスは大戦中に多くの装甲空母イラストリアス級を建造していますし、アメリカも装甲空母ミッドウェー級を建造しましたが、大戦にぎりぎり間に合いませんでした。装甲空母建造着手の順番は英>日>米なので尚の事日本に「なぜ」を問うのはお門違いでしょう。どこも空母の防御を必要とした、それだけですね大鳳の搭載機数については定数52+1機とされていますがマリアナ沖海戦における出撃時には60+1機搭載だったように露天繋止などを使えばある程度増やす余地はあったようです。他の空母についても、露天繋止すれば定数より積めたようですまた、零式艦上戦闘機は翼端を折りたためる程度でありこれを翼の根本から折りたためる機体に変えられたらより搭載機数は増やせたと思いますただ、露天繋止機は機体を傷める上に敵の奇襲を受けた際に非常に危険なので露天繋止は「やればいい」と言うほど良い物では無いですし、零戦は極度の軽量化がコンセプトだったので翼折り畳み機能を設けたかったらほぼ新規設計になる、等どれも簡単な話ではなかった事は踏まえておきましょう。ただ、艦載機を増やすにあたって日本最大のネックは露天繋止のデメリットでも零戦の構造でも無く、搭乗員でした。本来80機前後搭載可能な翔鶴?瑞鶴が珊瑚海海戦の時点で搭乗員が居ないために各48機しか積めなかったように大戦におけるほぼ全期間において、日本空母はまず定数をなるだけ埋めようとして四苦八苦しています。定数を超えた搭載なんて出来たのは、練成中の搭乗員を根こそぎ動員したマリアナ沖海戦時くらい。ゆえに、無理して搭載機定数を増やす必要がそもそも無いのです。そんな事したって定数の空きが増えるだけですので…日本の空母の搭載機数航空機が大きくなったら搭載機数が減るのは、当たり前だと思う米海軍の飛行機は主脚が胴体に付いているので主翼を大幅に折り曲げる事が出来ますから機体を小さくする事が出来て空母の搭載数を増やす事が出来ました。反面離着艦時には機体が安定しないので事故が頻発していました。米海軍の飛行機の損害で多いのは着艦事故だったそうです。日本海軍の飛行機は主脚が主翼に付いているので大きく折り曲げる事が出来ずに空母の搭載数が増えませんでした。新型になると機体が大型化したので更に搭載数が減りました。最後には機体の大型化と重量増大の為に中型空母以下では運用が難しくなって居ます。大鳳の搭載機の少なさについて。これは、新型機搭載の際の数値と言われてます。烈風?流星?彩雲の場合です。大鳳と翔鶴の格納庫の面積は、意外と大鳳の方が少し少ないだけです。翔鶴の搭載機数も、建造当時の機種の搭載機計画です。実際の大鳳は、飛行甲板に露天搭載して70機以上搭載って説があります。信濃については知らないので申し訳ありません。アメリカ。では格納庫は何だったかというと、搭載機のメンテナンスと燃料補給の場所として使ってたから。日本空母の搭載機数が少ない理由は↓これ。滑走距離が必要だから?日本海軍は?一番肝心な“空母用??????”を実用化↓出来なかった?動画:空母用カタパルトを実用化できなかった日本海軍の空母は?艦載機の発艦時には風上に向かってより高速で航行する必要があり?そのため戦艦並みの大型空母正規空母であっても巡洋艦並みか?それ以上の高速性能が求められ?建造と運用上の制約となった。発艦距離をとるため甲板を長く使わざるをえず?一度に甲板に並べることの出来る機数は英米に比べ減少した。また“新型機が実用化されても?その増した重量に対してより高い離陸速度を稼ぐ必要があるため?低速な正規空母や甲板の短い軽空母?護衛空母では新型機の運用が不可能で?旧型機を使い続けなければ成らなかった。”信濃”は?2年かけ戦艦として70%出来ていたが?46cm砲の輸送艦が撃沈されるなど?戦艦として完成させる事が難しく成って来た。また激戦で損傷艦が激増し?修理のためのドックを空けなければ成らず?急遽?空母に変更される事と成った。??????発艦の準備をする↓アヴェンジャー雷撃機大鳳の格納庫は2段です1段ではないですこれは大鳳が飛行甲板に装甲を貼ることで重心が高くなる事を防ぐために、従来の空母が格納庫2段で6甲板分なので格納庫一つの高さは艦内で3階分の高さの高さだったのが1甲板分低くして2段で5甲板分にしたのが、いつに間にか格納庫を1段減らしたという話になってしまった所謂デマですこの日本空母の搭載数の減少は格納庫どうこうではなく、艦載機の主翼の折りたたみ機能の差です要はアメリカ海軍の艦載機の方がコンパクトに収納できるので、自然に搭載機数が多いのです日本の艦載機は艦攻ぐらいしか主翼を大きく折りたたむ事が出来ず、零戦も艦爆も主翼は先端がちょっと折れる程度ですですが米軍機はSBDドーントレス以外は殆どが主翼を付け根から折れる機能を搭載していて、その分収容範囲を小さくすることができました話では同じ戦闘機でも零戦2機分のスペースに米軍のF4Fを5機は収容できたそうですこういった差が日米空母の搭載機数に差が出てしまったのですあと、日本側空母で戦時中に建造された空母は、完成した時は海軍の編成替えで空母は自前の艦載機を持たない事とし、任務の都度搭載することにしていたので、実際に最大どれだけ積めるのか搭載したことはありません大鳳でよく見る搭載数50数機というのもありこれはマリアナ沖海戦で601航空隊が第一航空戦隊の3空母に配備した機数のうち、大鳳が受け持った数でしかなく、これが大鳳の搭載限度だった訳ではありません実際は60機以上は搭載できたとも考えられており、格納庫の面積から見ても翔鶴型に準じる程度は搭載できたと言われています。信濃は米空母と同様格納庫は一段だけで米空母と一緒ですが、天井が高く艦載機を天井に吊り下げることができた米空母と違い、そういう機能がない信濃では艦載機数により差がでるのは当然ですそれでも信濃は文献によっては50機以上搭載できたというものもあります信濃に関しては資料が非常に乏しく40数機というのもちゃんとした記録というわけでもないものですましてや竣工後わずか10日で撃沈されたので艦載機をまともに搭載したこともなく、本当に40数機だけしか積めなかったのかは不明です?大鳳:52+1機、満載排水量 37,268トン?エセックス:90~100機、満載排水量 41,200トンなぜ基準排水量で比較するのか分かりませんが、軍艦ですから満載排水量で比較すれば、やや艦容が大きく装甲の薄いエセックスがSBD ドーントレスを除けば主翼の折り畳み機構を備えた艦載機を大鳳より多く搭載できたのは普通の気がします。信濃は大和型3番艦として建造され進水してから空母へ改造された艦ですから、搭載機数が少なくなって当然です。ミッドウェイの名を持つ米空母は満載排水量 70,000トンと 10,902トンの2艦がありますが、いずれも上記他艦と比較するには不適当でしょう。確か信濃は重心バランスの問題で格納庫が一段でかつ防火設備で狭くなってたとか?あと信濃は実際に格納庫いっぱいに飛行機を入れたことはなくて試算なんですよ、で、従来の零戦や九七艦攻ではなくより大型の新鋭の烈風や彩雲とか紫電改で想定したからです。

  • コンパスカード: ここにマジスクいれるならどれを外した方
  • BMIと適正体重 今は食事制限→食べたら下剤という方法で
  • 子供の日本語 自分に似るとかわいそうだから子供が欲しくな
  • 看護師国家試験 東京アカデミー名古屋校の看護師国家試験通
  • 義両親への妊娠報告 7月末に出産して来週旦那のお母さんの
  • コメントはまだありません

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です